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◆ひとりのひとを哀しむならば ──

  • 2012/12/31 06:36
  • Category: ● 人

 ……言葉を受けとめるのにせいいっぱいで、自分から言葉を紡ぐ発想すらなかった3か月でした。
 お待たせしました。
 「校正感覚」、再開します。

   *

あんちゃんこと大澤恒保に初めて会ったのは、ちょうど20年前の1992年12月やった。
友だちの家のちっちゃな忘年会で、飲み食いしながら、ぼくはあんちゃんと信仰について話してん。
というか、ぼくがしつこくあんちゃんに食いさがって。
あんちゃんが吉本隆明さんを師とも友ともしてきたのを知って、無神論者にも“信仰”というものはあるんとちゃうかナ、とおもったから。

肥えたキンキがガスコンロのグリルに引っかかって、皮と身がむけてしまって見た目はすっかり笑えたけれど、活きのいい塩焼きの白身は泣きたいくらいおいしかったことをすごくよくおぼえてる。

大きな喪失をわが身で受けとめるしかないとき、人はどうやって自分を支えるのかということを、ぼくはあんちゃんを通して学びたかったんやな、きっと。
リンドウ病(VHL)という遺伝性の難病のために、あんちゃんはおかあさんを亡くし、下の弟さんを亡くし、上の弟さんも94年に亡くすことになった。
あんちゃん自身、何度も生死の境をさまよい、脳や脊髄にできた腫瘍は身体の自由を着実に奪ってきてた。

ぼくはあんちゃんがふるさとの野山を山ザルになって駆けめぐっていた子どものころを知らへん。
新聞配達をしてた苦学生のころも、宝石商の営業で大金とともに世間と競馬場を渡り歩いたころも、知らへん。
初めて会った13歳年上のあんちゃんは43歳で、杖をついて歩いてた。
そのころはまだ、手すりのない階段も手を借りて昇り降りしてた。クルマで遠出も平気でしてた。

あんちゃんから学んだことはたくさんある。
そのひとつは、西東三鬼。その俳句よりも先に、まず散文「神戸」「続神戸」を知った。
なんていうか、いまからおもえば、三鬼は“俳句界の太宰治”なんやね。なんとなれば、すくなくとも大澤恒保にとって、三鬼は「愚行」で太宰とつながり、太宰は「母性」で吉本さんとつながり、吉本さんは「卑小なものを愛する」ことで三鬼とつながったはずやから。

4冊の本を、伴走しながら作ったよ。
●別冊俳句四季『西東三鬼の世界』東京四季出版、1997年所収、「三鬼試論」。
●松葉杖の男・浅田修一との対談『ことばだけではさびしすぎる』ぼっと舎、1998年。
●第5回蓮如賞佳作を受賞した『ひとりのひとを哀しむならば』河出書房新社、1999年。→版元サイト
●『つながって』ミッドナイトプレス、2005年。
入手しにくい本もあるけど、どれも読んでほしいナ(★)

 ★──『ことばだけでは……』は、ぼくが発行人やから、MAILで注文してくれたらすぐに送るよ。


どうしようもない甘えん坊のサディストで、女の人がすくいあげてくれなかったらどうするの? という心配をよそに、じぇらしーをおぼえるほど老若男女さまざまな人に愛された、かつての酔っ払いでヘビースモーカーのギャンブラーは、この11月15日、63歳の生をおえた。

危篤の報せを受けて、でもぼくは新幹線を走らせて上州・高崎へ駆けつけることはしなかった。
それはぼくとあんちゃんとの別れ方ではないとかんじたから。

……なんでやろね。

あとから聴いたら、今回も死線を越えて還ってくるはずやったんやね。
おいしそうにプリンを食べて、もうだいじょうぶと、みんな緊張の糸を解いたその矢先。
あんちゃんは、混濁した意識のベッドで、「ちくしょう! クヤシイ、クヤシイ!」と叫んだという。手だけを動かして、「書きてぇ、書きてぇ」とも。

あんちゃんがリハビリのために書き綴ったブログ日記「点景」は、いまでもここから読めます。
亡くなる2週間前に書かれた最後の記事は、西東三鬼の句「秋の暮大魚の骨を海が引く」を採り上げたものやった。

あんちゃん。
ありがとう。
大好きな吉本さんご夫妻と、再会してるやろうね。
そして、あの群馬の吉井の村で、おかあさん、おとうさんを築百年の家に待たせて、2人の弟さんたちと山ザルになって野山を駆けめぐってる光景が、ぼくにもはっきり見えるような気がするよ。

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◆「名のる」と「名づけられる」──

時代劇が好きな人でもキライな人でも、
「やぁやぁ、われこそはナントカのナニなり。いざ尋常に勝負、勝負~!」
と叫んで斬りこんでいく武将の姿は、誉れのしるしとして、みんな知ってるんとちゃうかな。

そう、「名のる」というのは、生死をかけるに値する行為やったんやね。

   *

名前、というのは、それだけ、1人の人間の生き死ににもかかわる、重大なことやったわけなんよ。

たとえば、えらい人の諡号〔しごう〕というものがある。

【諡号】
貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名。おくり名。
──『日本国語大辞典』小学館

近いところでは、裕仁〔ひろひと〕天皇に与えられた「昭和天皇」は諡号(死後のおくり名)。
だから、いまの明仁〔あきひと〕天皇(昭和天皇の長男)は、あくまでも「今上天皇」であって、「平成天皇」ではない、ということ。

商業出版の校正では、ぜったいにまちがえたらあかんよ~
もし、明仁天皇の存命中に「平成天皇」なんてあったら、即、刷りなおし/回収で、たいへんなさわぎになります。

   *

さて。
ここで気づいた人は多いんとちゃうかな?

最初の「やぁやぁ、われこそは……」は、自分からの名のり。
それにたいして、諡号は他者が当人に与える名づけ。

ひとりの自分の名前には、「名のり」と「名づけ」がある、というわけ。

   *

いきなり個人的な話になるけど、ぼくは、ずっと夫婦別姓をしてきてん。

理由は、シンプルなこと。
法律婚をするときに、両者はどちらかの姓を選ぶことになるわけで、フィフティ/フィフティに選べたらいいんやけど、じっさいは“女性”が“男性”の姓に変えることが圧倒的に多いでしょ?

それは、つまり、法的には平等が保障されているけれど、現実にはものすごいバイアスがかかっている、ということ。

その理不尽がどうしても、どんなに斟酌しても納得できなくて、ぼくにとっては別姓のほうが、自然な選択肢でしたよ。

   *

そして、次に話は進む。

敏感な人は、「やぁやぁ、われこそは……」は、姓を変えるのではなくて、あくまでも名、とくに元服にさいして幼名を成人名に変える通過儀礼であって、別姓問題とは異なるでしょ、と気づくはず。

いまでも、姓を法律的に変えるのはむずかしい。

   *

でもね、ちょっと待って。
どうして姓を変えてはいけないの?

姓どころか、ペンネームや芸名なんて、新しい名づけやん?

太宰治のことを、戸籍名の津島修治と呼びなさい、なんて法律ができたら、ゆるせへんよね~?

それを、一部の特権的な人だけに適用されるんじゃなくて、だれもが当たり前に認められて大切にされる「名のり」にできたら、ずっと呼吸がしやすくなるんとちゃうかなー

   *

その「名のり」を無視して、他者からの「名づけ」というものが、この世にはある。

いわく、おまえは○○である、××である、△△である、……(★)

 ★──○○や××、△▽には、思いあたるフシをあてはめてください。

「名づけ」には、もちろん、素敵なものもあるよ。
センスのいいあだ名とか。

でも、おまえは○○である、という一方的で理不尽なカテゴライズが暴力であるとき、それは差別の第一歩。

ぼくは強くそうおもうけど、どう?
あなたの知っている人に、あなたはどんな名前を与える?
あなたが、身近な人たちから理不尽で暴力的な名づけをされたら、どうする?

   *

「名づける」自由が保障されるなら、「名のる」自由も認められないとね。

でないと、やってられへんやん!


◆この指が知っている ──


引き合わせでも、素読みでも、読みとばさないための工夫はいろいろあって、
たとえば──

(1)一字一句の引き合わせのとき、原稿に定規をあてて、次の行以降を隠し、いま照合している行だけが目に入るようにする。

(2)ゲラを読む側の、利き手に持ったペンの先で、一字ずつたどるようにする。

(3)原稿でも、ゲラでも、指先で文字をひとつずつなぞるようにして確認していく。上記(1)の定規を使う確認と併用もあり。

   *

“読みとばさない”ためには、ペン先よりも指先を使うほうが、効果があるとおもうな。

指で文字に触れていくと、集中が鋭敏になる気がする。
ペンでたどるより、ずっと生理的な感覚が呼びさまされるような。

使うのは、ぼくは利き手の右手なら人差し指、左手なら薬指を使うことが多い。

(ペンで追うときには、赤ペンのばあい、ふとゲラに触れて赤インクで汚してしまったりするので、よい子のみなさんは、シャーペンを使うようにしようね!)

   *

指先には、何か特別な感覚器官でもあるんやろうか? とおもって、調べてみた。
すると、東洋医学では、指先にもいろんなツボが割りふられてあって、人差し指だと腸に関係するツボなんやって!

腸、というところがおもしろい。

なんでかって、「腸」という漢字は、古く「こころ」と訓読みされてたのデスよ、じつは。

平安時代末の漢字字書『類聚名義抄』では、「腸」の訓読みに、
《ハラ・ハラワタ・オモフ・オモヒ・ココロ・クソブクロ》
を列挙してる。
(それにしても、クソブクロって、……。)

   *

「断腸のおもい」って、いうでしょう。
辞書を引くと、たいてい、《はらわたがちぎれるほどの悲しくいたましい思い》(日本国語大辞典)と説明されてて、中国の『捜神記』(4世紀)や『世説新語』(5世紀)に見える、子を奪われた母猿の悲憤の故事が典拠として示されてたりする。

でも、ちょっと待ってよ。
はらわたがちぎれるって、そりゃあ、悲痛なかんじはするけど、なんで(心臓でも胃でも肝臓でもなく)腸なん?

そのことは、[腸=こころ]ととらえると、よくわかる。
断腸すなわち、こころが断たれる。
「心腸」という二字熟語もある。

現代西洋医学でも、腸は“もうひとつの脳”と見なおされてきてる(★)

 ★──たとえば、藤田恒夫『腸は考える』岩波新書、1991年

   *

こころって、この身体の内のどこにあるの?
それは、脳でもなく、心臓でもなくて、腸(おなか)にあるんとちゃう?

ぼくらは、このかけがえのないじぶんのこころは、頭でも胸でもなく、おなかにあるとつくづく思い知ったほうがいい。
そしたらね、頭でっかちのジレッタントからも、ハートを射ぬく原罪からも、解放されるんとちゃうかな。

おなかの教えに耳を傾けること。
おなかの声を、指先をとおして、活字とつなげること。
きっと、それって、校正の現場から平和な世界に近づくことのできる、ひとつの道のりやとおもうんやけど。
どうやろう?


◆海辺のプルースト ──


夏休みがおわってしまう~という、宿題を残した子どものような気持ちの、8月も今日が末日。
この夏いちばんの思い出は、葉山の一色海岸であった、「海の家でプルーストを読む」というちっちゃなイベントでした。

そのPart 1は、いまを時めく一人出版社・夏葉社の島田潤一郎さんとぼくが、『失われた時を求めて』について対談。
Part 2は、参加者みんなで、「長い時間をすごす」ということについて、おもいおもいに話す。

湘南の海のむこう、伊豆半島に夕日は沈み、目の前の渚を海の家の灯りが浮かびあがらせる。

本好きの10名がテーブルを囲んで、おいしいビールや料理におなかも満たしながら、ゆったりした時間が流れていったよ。

   *

これは、ぼくも制作に参加している「高円寺電子書林」というメールマガジンの特集企画で、
当日のくわしい記録は一両日中にも配信される予定の最新号に掲載されるから、
みなさん、読者登録して読んでね!

登録は無料で、バックナンバーもすべて読めます。
くわしくはこちらまで。

   *

島田さんは、『失われた時を求めて』読破を履歴書に書いてしまったくらい、この途方もない小説がじぶんの人生を決めたとのこと。

ぼくは、鈴木道彦訳の集英社版の校正をさせていただいたご縁で、今回の対談のお相手に選ばれました。

お会いしたかった島田さんの第一印象は、“明朗な青年”!
待ち合わせ場所から海岸へとむかうタクシーのなかで、運転手さんが、
「葉山の夕日は、泣けますよ~」と観光案内すると、
「ほんとですか? いや、ぼく、失恋したとこなんで、ぜったい泣いちゃうなー」
と島田さん。
ええっ? そうなんや!
ていうか、そんなこと、ぺらぺらしゃべっていいのん?
ちょっと繊細な文学青年みたいなイメージを勝手にいだいていたので、びっくり。
(8月14日付の『神戸新聞』夕刊で、海文堂書店の北村知之さんが島田さんの失恋話を書いてはりました。)

会場の海の家に着いて、いろいろお話を伺っているうちに、島田さんの明朗さの秘密の一端かな、とおもったんは、
「ぼくは、営業上がりの編集者なんですよ」
というところ。
いま、“一人出版社”がちょっとしたブームみたいになってるけど、たしかに、編集者さんが立ち上げたところが多いんとちゃうかなー。

ちなみに島田さんは、メルマガ「高円寺電子書林」に赤裸々な(?)営業日記の連載もしてくださってます。
(バックナンバーをご覧ください。)

   *

明日から9月。
葉山の潮騒をおもいおこして、ちょっとセンチになっていたら、朝刊の4コママンガ「おーい栗之助」に、「休みはあと2日あるんだぜ」!

そっか、今年は9月1日・2日が土日なので、2学期は3日からか。
よかったね~学生のみなさん。
ぼくもなんか、得した気分。


◆しなやかな国境線 ──


いつのまにかロンドン・オリンピックもおわり、お盆のUターンラッシュをニュースが伝えたりしています。
ごぶさたしています。ぼっと舎の大西です。
ブログを再開するにあたって、今日は、校正とは別の話をしたいなとおもいました。
戦争のことです。

   *

67年前の今日、太平洋戦争をふくむ第二次世界大戦がおわりました。
内戦でもテロでもなく、国家間の戦争、しかも人類史上最大の戦争でした。
わたしたちはその当事国のひとつに生まれ育ち生きています。

「国」って、なんだろう。
時代や民族によってその定義はさまざまに変わり、たしかにそこにあるのに、正体がつかめるようなつかめないような、“何か”。


そんな“何か”を強く意識する場面のひとつに、領土問題があります。
つい先日も、竹島(独島)に韓国大統領が上陸し、オリンピックで韓国選手が独島の領有権をアピールするということがありました。
尖閣諸島や北方領土の問題も、くすぶりつづけています。
資源の領有権争いだけではなく、むしろ、「愛国心」を広め高めるために、領土問題は利用されるものなのかもしれません。

この線からこちらはわたしたちの国。で、そちらはあなた方の国ね──。そんなふうに、円満かつ友好的に線引きするのはとてもむずかしい。
境界はマージナルであるとともに、じぶんという主体にとっては他者と接するフロンティアでもあります。


満員電車に乗っているところを想像してみてください。
見ず知らずの人と身体をぎゅうぎゅう押しつけあって、それでもがまんしていられるのは、一時のことだからでもありますが、くっついている他人とじぶんとのあいだに、ちゃんと境界が保たれているからではないでしょうか。

駅に着いて車内から解放されると、ほっと息をつくと同時に、ぎりぎりまで狭められていたじぶんが広がるかんじがするでしょう。
その反対に、たとえば夜道。人通りのすくない広い歩道を、知らない人がなぜか距離を縮めてきたときの恐怖。何かされる! という危険の察知よりも早く、何ものかわからない他者が入りこんでくることへの反射的な防御があるとおもうのです。

わたしというひとりの人間は、皮膚の内側だけにあるのではありません。
身体の外側にも“わたし”という空間は広がっており、他者との境界は、知らず知らずのうちに伸びたり縮んだりしている。その柔軟さが、じぶんを保つためになによりだいじで、心身の健康を保証するのだといえます。

ある場面ではわたしという空間は広がり、異物でさえも受け容れることができる。ある場面では、スペースを狭めて、最低限のじぶんを確保する。
このしなやかさが失われたとき、自他の境界は決壊して、じぶんの内に他者がなだれこみ、外界にじぶんが流出してしまいます。


領土問題は、とても硬直した境界どうしのぶつかりあいです。
おたがいの主張がかたくなだという意味ではなく、国境線という境界そのものが、伸びたり縮んだりをゆるしません。

国境は、決壊しないだろうか。
いえ、それよりも、しなやかな国境線というものは、ありえないのだろうか?
人類が新しい扉を開いて、国境線の意味も性質も変わったとき、わたしたちにはいったいどんな「国」が意識されるのでしょう。

敗戦記念日であり終戦記念日である今日、わたしはあなたと、戦争のことを話したい。それはつまり、「国」について語ることだ。世界中の、これまでの「国」、これからの「国」について。
できるなら、木陰を探して、青い空の下で。


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プロフィール

ぼっと舎

Author:ぼっと舎
◆大西寿男(おおにし・としお)

校正者として、河出書房新社、集英社、岩波書店ほか、さまざまな出版社の本づくりにたずさわってきました。

と同時に、自費出版の制作、手製本・豆本の制作などを通して、本づくりの総てにかかわりたくて、ひとり出版社「ぼっと舎」を主宰しています。

【HP】
http://www.bot-sha.com/
【twitter】
http://twitter.com/bot_sha

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